2022年度見学会報告
増上寺見学会によせて
今年は平年より少し早い梅雨入り。心配した当日の天気は曇り、見学会には最高の日和となりました。集合場所の三解脱門、定刻には19名全員が揃い案内役の若い僧侶小篠さんとご挨拶を交わしました。先ずは東京タワーを従えた堂々たる大殿を背景に記念写真。増上寺会館でパンフレット一式を頂戴し準備も万端。いざ出発!
増上寺は1393年に念仏道場として今の紀尾井町辺りに創建されました。家康が江戸に幕府を置くにあたり徳川宗家の菩提寺となることを嘆願され、現在の地に広大な寺所をいただき移転。西の総本山知恩院と並び、東の大本山増上寺として関東一円の浄土宗寺院の総纏め役、また三千人を超える仏教諸宗派の僧侶が修学に励む場として大いに栄えました。明治維新で徳川幕府が倒れ、明治政府の神道国教化政策で神仏分離が進み、膨大な寺所は芝公園と姿を変えました。
大殿で増上寺の歴史を聞き外に出て、関東大空襲の難を逃れた三解脱門・経蔵・鐘を眺めました。救いを求めてくぐる三解脱門(三門)とは三つの煩悩(貪り、怒り、愚かさ)を解脱する門です。浄土宗では「南無阿弥陀仏」と唱えれば誰でも「空・無相・無願」の三解脱ができるとしています。三門、膨大な経典を収めた経蔵、煩悩を払う鐘、の三つが残ったことに仏の慈悲を感じました。大階段を下り徳川将軍家墓所へ。かつて広大な境内に建ち並んでいた厳粛壮麗な将軍家の霊廟群はやはり空襲で全焼。荒れたままになっていましたが、昭和33年 現在地に改葬されました。二代将軍秀忠と正室お江、満六歳で亡くなった家康直系男児最後となる七代将軍家継、波乱万丈の時代を生きた十四代将軍家茂の墓と正室和宮の宝塔などを拝し、徳川家の繁栄と苦難に想い巡らせました。
カラフルな風車を携えた子育て地蔵が立ち並ぶ道を戻り、平成23年の法然上人八百年御遠忌を記念して再建された安国殿に来ました。堂内に祀られるのは恵心僧都作義経の守り本尊と伝わる阿弥陀如来。岡崎の明眼寺本尊となっていたものを家康が念持仏としたところ幾多の災難を除け戦勝を重ねることができました。今でも勝運厄除を願う人々の篤い信仰を集めているそうです。
同窓の皆様と興味深いお話を伺いながら増上寺境内の散策。徳川幕府の栄枯盛衰、幕末から今に至る激動の時の流れに思いを馳せたひと時となりました。お世話になりました皆様に心より感謝申し上げます。